2013年03月13日
置いてかれる春
鳥のさえずりをいつも聞いています。
湧泉はりきゅういんの横はお隣さんの立派なお庭が接していて、そこに大きな樹があり、色んな鳥たちが集まってきます。
治療していてもいつも決まった時刻に鳴く鳥がいたり。
春になってから渡り鳥が来たり子どもが産まれたり?なのか!?
なんかあった??
と驚くほどたくさんの鳥たちが鳴いていて、聞いていると楽しいです。
鳥の名前はうぐいすやカラス、すずめくらいしかわからなかったのですが、最近高いところで高い声で鳴く鳥が気になっていました。
冬の間は聞いたこともない声。。。
探してみてもどこにいるかよくわからなくて。。。
注意して聞いていると、高い声だからか、遠く空に吸い込まれ上昇していくような声。
調べてみて、ひばりだとわかりました。
春に天高く鳴く鳥。
なんと万葉集にも歌われているとのこと。
うらうらに 照れる春日(はるひ)に ひばり上がり 心悲(こころがなし)も ひとりし思へば
(大伴家持 万葉集 巻十九 四二九二)
のどかに照る春の日に、ひばりが舞い上がっていくが、独りで思っていると心が悲しい。
ひばり上がる 春へとさやに なりぬれば 都も見えず 霞かすみたなびく
(大伴家持 万葉集 巻二十 四四三四)
ひばりが空に上がり、はっきりと春になったので、霞がたなびいて都が見えないほどだ。
見てみると、ひばりの声を聴いて感じた自分の感覚と似ていました。
ひばりは天高く舞い上がり高く澄んだ声で鳴いています。
自分はそれを大地の上に足をつけ見上げ、聴いています。
春は出会いと別れの季節で、ぴょ~んと旅立つものがあると、置いてかれる側もあるわけです。
その、旅立つ側でなく、置いて行かれる側の感覚。
それが、天高く上昇し鳴く「ひばり」と引力の影響を受け大地にしばりつけられている、大地から離れることのできない「私」という対比として比喩されているのではないかと思いました。
旅立ちのうっきうきと、置いてけぼりのそこはかとない寂しさと安定感。
春の陰陽。
それをわたしたちは、万葉のころから同じように感じてきたのかな。
おおとものやかもちさんが身近になりました

湧泉はりきゅういんの横はお隣さんの立派なお庭が接していて、そこに大きな樹があり、色んな鳥たちが集まってきます。
治療していてもいつも決まった時刻に鳴く鳥がいたり。
春になってから渡り鳥が来たり子どもが産まれたり?なのか!?
なんかあった??
と驚くほどたくさんの鳥たちが鳴いていて、聞いていると楽しいです。
鳥の名前はうぐいすやカラス、すずめくらいしかわからなかったのですが、最近高いところで高い声で鳴く鳥が気になっていました。
冬の間は聞いたこともない声。。。
探してみてもどこにいるかよくわからなくて。。。
注意して聞いていると、高い声だからか、遠く空に吸い込まれ上昇していくような声。
調べてみて、ひばりだとわかりました。
春に天高く鳴く鳥。
なんと万葉集にも歌われているとのこと。
うらうらに 照れる春日(はるひ)に ひばり上がり 心悲(こころがなし)も ひとりし思へば
(大伴家持 万葉集 巻十九 四二九二)
のどかに照る春の日に、ひばりが舞い上がっていくが、独りで思っていると心が悲しい。
ひばり上がる 春へとさやに なりぬれば 都も見えず 霞かすみたなびく
(大伴家持 万葉集 巻二十 四四三四)
ひばりが空に上がり、はっきりと春になったので、霞がたなびいて都が見えないほどだ。
見てみると、ひばりの声を聴いて感じた自分の感覚と似ていました。
ひばりは天高く舞い上がり高く澄んだ声で鳴いています。
自分はそれを大地の上に足をつけ見上げ、聴いています。
春は出会いと別れの季節で、ぴょ~んと旅立つものがあると、置いてかれる側もあるわけです。
その、旅立つ側でなく、置いて行かれる側の感覚。
それが、天高く上昇し鳴く「ひばり」と引力の影響を受け大地にしばりつけられている、大地から離れることのできない「私」という対比として比喩されているのではないかと思いました。
旅立ちのうっきうきと、置いてけぼりのそこはかとない寂しさと安定感。
春の陰陽。
それをわたしたちは、万葉のころから同じように感じてきたのかな。
おおとものやかもちさんが身近になりました


Posted by そうや晶 at 15:58│Comments(0)
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