2012年12月21日
冬至 ~天地の心 あらわれるとき~
今日は陰極まって陽となる日、冬至です。
一年の内で昼が一番短く、夜が長い日。
易経では、一陽来復。
どんどん少なくなっていった日、陽が、すっかりなくなり、そのあと、はじめて下に生じること、陽が復ってくることをいいます。
魏(三国時代)の王弼(おうひつ)が
「復(陰極まり陽に転ずの冬至のこと)はそれ天地の心を見るか」
に注し、次のように述べたとあります
「復とは本に復る(かえる)意味である。
例えば動きが止めば本の静に復る。
静とは動に対立する概念でなく、絶対の静である。
同様に、無は有の本であるが、有と相対するのでなく、有無の対立を超えた絶対の無である。
天地は森羅万象を有し、千変万化するが、その本は無であり、静である。
絶対の無、絶対の静こそが天地の心である。
天地が有を以って心とすれば、物を生むことはできぬ。
復の卦はすべての動きが地中にやんで、静に復るとき。
ここにおいて、天地の心がみられる」
といったそうです。
また、朱子の本義には、
「人間についていえば、悪が極まって善に復る、ほとんど消滅したかに見えた本心が復た(また)ちらりとあらわれることである」
といいます。
(上記朝日選書の「易」より)
沖縄は数日前の寒さを超えて暖かな光に満ちている今日の日。
天地の心と、私の本心のあらわれを、
感じていたいと思います

一年の内で昼が一番短く、夜が長い日。
易経では、一陽来復。
どんどん少なくなっていった日、陽が、すっかりなくなり、そのあと、はじめて下に生じること、陽が復ってくることをいいます。
魏(三国時代)の王弼(おうひつ)が
「復(陰極まり陽に転ずの冬至のこと)はそれ天地の心を見るか」
に注し、次のように述べたとあります
「復とは本に復る(かえる)意味である。
例えば動きが止めば本の静に復る。
静とは動に対立する概念でなく、絶対の静である。
同様に、無は有の本であるが、有と相対するのでなく、有無の対立を超えた絶対の無である。
天地は森羅万象を有し、千変万化するが、その本は無であり、静である。
絶対の無、絶対の静こそが天地の心である。
天地が有を以って心とすれば、物を生むことはできぬ。
復の卦はすべての動きが地中にやんで、静に復るとき。
ここにおいて、天地の心がみられる」
といったそうです。
また、朱子の本義には、
「人間についていえば、悪が極まって善に復る、ほとんど消滅したかに見えた本心が復た(また)ちらりとあらわれることである」
といいます。
(上記朝日選書の「易」より)
沖縄は数日前の寒さを超えて暖かな光に満ちている今日の日。
天地の心と、私の本心のあらわれを、
感じていたいと思います


Posted by そうや晶 at 13:30│Comments(0)
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